櫻正宗記念館&「お気軽健康カフェ あげは。」

昨日は本当なら「神戸ラブランチャリティーウォーク」に出場するはずだったんだけれど、夫が用事で息子を見られないことになってしまい、仕方なく私が息子を連れて、せめてエントリーだけでも……と、神戸は住吉に出かけたのだった。  係の人は息子を見ても何も言わなかったけれど、いくらなんでも3歳児を連れて14kmは到底無理なので、ほんの1km程度の地点(櫻正宗記念館)まで来たところでリタイアし、阪神魚崎駅から電車に乗ってすごすごと元町へ戻ったのだ。  私は下戸なので、灘の酒蔵めぐりなんかはもちろん経験がなく、だからこそ今回のウォーキングを楽しみにしていたんだけれど……。  それにしてもなかなかきれいなところでした、記念館。  試飲もでき、カフェやレストラン、お土産店も併設され、トイレもきれいで使いやすい(私は出先でトイレを使うのがあまり好きではないので、トイレがきれいかどうかはすごくポイントなのだ)。 魚崎近辺へお出かけの際はぜひ立ち寄ってみて下さい。  元町で降り、トアロードをどんどん登って行った先にある、以前から目をつけていたカフェ。  「お気軽健康カフェ あげは。」。  よほどの人気店なのだろう。いつでも女子が群がっているこのお店、からだにやさしいオーガニックな料理が特徴なのだとか。  12時前に到着したせいか、15分ほど並んだ末にようやく座れる。  子供用の椅子も出してくれるし、子連れでもまあまあOKかなという感じ。  ただ、料理が……。  ここまでオーガニックでマクロビオティックとは思わなかった。  タンパク質と呼べるものは、油揚げとおからだけだった。  あとはすべて、野菜・野菜・野菜・エンドレスに野菜。 これでもかってくらい根菜。  ランチのご飯は十六穀米か玄米か選べる。 白米という選択肢はない。  これは強烈だわ。  ファミリーレストランのお子様セットにありがちな、タンパク質ばかりで野菜がほとんどない(ポテトサラダとかしかない)というのもどうかと思うけれど、これだとアラフォー女子にはうれしいけど3歳男児にはきつかったようで、うちの子もいまひとつ箸が進まない。  味付けも、ごま油とか酒粕とかそういう、田舎のお母ちゃんの手料理を思い出すような懐かしいもの。  私たちが食べたのはランチセット950円だったが、「せいろ蒸し野菜セット」1500円くらいのを食べているお客さんもいた。 せいろって今ひそかにブームらしい。 蒸すことで油も使わないし栄養が逃げないし野菜がたくさん食べられるしということで。  というわけで、女子たちがせいろを囲みつつオーガニックでマクロビオティックなランチを、もちろんナチュラルなインテリアの店内で食すという、男子には入りづらそうな世界が展開していたのだった。  お店の片隅には、神戸が誇るゆるキャラ「コーベアー」のグッズも販売しており、並んで待っている間はコーベアーの眠そうな顔を見ながら心なごませることができる。  そんなお店でした。 慢性的な野菜不足の方は、3日くらい続けて通ってみたら、劇的に体質が改善されるかも!?  近いからこそかえってあまり行かないんだけれど、神戸ってつくづく奥が深い街だ。  まだ行ったことがない場所もたくさんあるし、今はなんといっても街を挙げて「平清盛」で盛り上がってる(か?)し、また、ぼちぼち足を運んで遊ぼう。
posted by つむ at 14:14

やっとのことでパソコン接続!

 前のパソコンがなかなか起動しない、勝手にオンオフを繰り返す、「ガー!!!!!」とすさまじい音を出す、というわけで買い替えたものの、長い間放っていて、昨日夫が接続してくれて、今日やっとこうしてブログ更新と相成ったわけである。  ほったらかしにしてたのも理由があって、私の身に、俗に電磁波はあまり浴びない方がいいといわれている現象が起きてしまい、パソコンそのものに対してあまり興味が持てなくなっていたというのが大きい。  毎日、それどころじゃないのだ。  とにかく食べられない。  今、かろうじて朝昼夜いつでも食べられそうなものといえばヨーグルト、のむヨーグルト、かんきつ類、とろけるチーズ、トマトソース、以上。  「水分だけはしっかり取るように」と雑誌にも書いてあるけど、水さえも本当は気持ち悪いのだ。  ま、11月を過ぎるころにはおさまってるかもしれないが、今度は腹が膨れてきて身動きが取りにくくなるんだろうなと思うと憂鬱である。  こんな時に、カーネーション直枝氏のソロ弾き語りライブが、よりによって地元で行われるという情報をゲット。  普通の状態だったら万障繰り合わせて馳せ参じるところだけど、12月。真冬の、しかもルミナリエでごった返してる神戸の街。そんなところに膨らみかけた腹を抱えて行くのはちょっとリスキーかなと、泣く泣くあきらめかけてる次第。  ま、これからうまくいけば、あと少なくとも5年くらいは、ライブどころじゃないだろう。  まあいいさ。それと同等以上の幸せを目指して今走ってるところなんだから。
posted by つむ at 10:17

ついに、4年間管理していたサイトを閉鎖……

 実はわたくし、こことは別に、半オフィシャル的なウェブサイトを一人で細々と4年間も運営してきたのである。  「半オフィシャル的な」ってどういうことかというと、要するに自分の母校の同窓生が集まるサイトを、非公式に勝手に立ち上げて管理していたのだ。  うちの母校(某公立大学)にはつい最近まで同窓会の公式サイトがなくて、それでは私がという思い上がった浅はかな動機から(まあ、そこまで自分を卑下するのもどうかと思うので本当のことを書くと、4年前、パソコンを買ったことがうれしくて、勢いで始めたのである)稚拙ながらもマイペースで運営してきた。  当時はウェブログなどという便利なものもなく、情報を発信するためには、自分でホームページ・ビルダーなどを使ってウェブサイトを作成するしかなかった。  私のつたないサイトにも、それでも何人かの熱心なファンの方がついてくれた。  つらいことがあった時には(運営当時は冗談抜きで、公私共にいろいろきついことがあって、それをサイト上の日記に赤裸々にしたためていたのである)励ましの書き込みもいくつかいただいた。  そのうち、なんとなくそのサイトが、あたかも半公式サイトのように認識されるようにさえもなってきた。  このままずっとやっていきたいと思っていたのだ。  でもここにきて、ひとりでの運営にも限界を感じてきた。  その要因として、  ・掲示板の荒らしが多くなった。毎日のように削除しないといけないのに疲れてきた。  ・ウェブログが市民権を得、ウェブサイトという形態そのものが当初ほどには意味を持たなくなってきた。  ・ついに先ごろ、わが母校にも同窓会公式サイトが出来た。   みるかぎり不完全な部分も多々あるサイトだけれど、やはり公式だけにコンテンツが充実していて、私のサイトは最早その役目を終えたという気がした。  ・在学生による在学生のためのサイトも出来た。それはいいんだけど、そのサイトに勝手に私のサイトへのリンクを張られた。すごいショックで、やんわりと抗議のメールを出したんだけど、なしのつぶて。なんだかそういうのにものすごく精神的なダメージを受けた。  ・基本的な問題として、大卒後10年が経過しようとしている今、現在の大学の様子をキャッチする時間的・精神的余裕もなく、会ったこともないような卒業生の方々を束ねることにも興味が持てなくなってきた。どちらにしても「どうでもよく」なってきたのだ。  という感じで、自分の気力を維持すること、いくつかの種類の暴力にさらされること、に疲れたのだ。  閉鎖の一週間前にBBSに閉鎖のお知らせを書き込み、相互リンク先の管理人さんたちにお知らせとリンク削除願のメールを送信した。  突然のことだったので「さびしい」という声もあった。長年このサイトを見守っていてくれた、少ないながらも大切な人々から。  でも、決めたことだから仕方がない。  思えば、始めたばかりの頃は、世界が広がった気がして、何人かの懐かしい人にも再会できたし、知り合いも出来て楽しかったんだけれど、だんだん「いつやめよう? いつやめよう?」ばかり考えるようになってしまって……。  嫌がらせの書き込みをされたこともある。勝手にリンクを張られたこともある。勝手にロゴを使われたこともある。  でもそんなことを忘れさせるくらい、たくさんの楽しい出会いがあったことも確か。  少し脱力。でも少しだけ心が軽くなった気もする。  不特定多数の目にさらされるからこそ「荒らし」も発生するのであって、「この指とまれ!」みたいな完全会員制のサイトでの活動に切り替えたらどうかなとも一瞬考えた。  でも、しばらくは、母校から目をそらしていたくなっている、今の私なのである。  頑張ってみたって、所詮母校にとっては、私みたいな卒業生はある意味恥である。  母校の名に恥じないきちんとしたキャリアなんて全然積めていないんだもの。  なんだか急につらくなってきて、今まで定期的に見ていた母校関連のサイトも、お気に入りからだいぶ削除してしまった。  というわけで、本当にこのウェブログ一本になってしまった私(これだけで十分でしょうが!という感じだが)。  ますます自分の好奇心のみに忠実に、よけいなことにわずらわされず(そう、ああいう半オフィシャル的なサイトのしんどいところは、いろんな人たちの思いを受け止めたり理解したり気を遣ったりしながら進めていかなきゃならないところだった)、ガンガン書いていきたいと思っておりますので、これからもお楽しみに??
posted by つむ at 19:21

ベルメゾンでまた買ってしまった

 このところ、ベルメゾン「私たちの暮らす服」で服を買うことが増えてきた。  今日も到着。  カーキ色のロングフレアスカート(ゴム・ひも付き)と、オレンジ(とカタログにはあるけれど、実際は朱色っぽい)の長袖カットソー。  これで10年は秋の服を買わずにすむ。  うそではない。私は異様に物持ちが良いのだ。特に衣服関係は。  衣服と私の歴史を振り返ってみると……  中学時代:そもそも、当然制服だったし、「休日に出かける際も制服、もしくは体操服着用が望ましい。子供だけで校区外に出かけるときは必ず制服または体操服着用のこと」なんつー信じられん校則があったど田舎の公立中学だったため、普段着自体あまり持ってなかった。  高校時代:小さい頃は母の手作り服が主だったが、この頃から叔母のお下がりが増えてくる。お下がりといっても叔母はかなり趣味が若く、高めで可愛くて丈夫な服をくれていたため、実はいまだに現役で着られる服も多い。  大学~社会人時代:自分で稼いだお金で好きな服を買えるようになったはずだが、センスがないせいで、高いだけでしょうもない服を何度も買ってしまい、自己嫌悪に陥って、相変わらず叔母のお下がりがメインという状態。社会人になってからも、スーツが必要な職業でもなかったため、ほとんど買い足さずに手持ちの服だけでやりくりしていた。  そして現在。  基本的には変わっていないけれど、叔母のお下がり、母の手作り、義母のお下がり(!)だけではやはりワードローブに限界が来て、ちょこちょこ買い足している今日この頃。でもやはりワードローブの7割はもらいもの、それも10~15年選手というものも珍しくない。  変かなあ? こんな私って、現在の大量生産大量消費という世の中のシステムに逆行してるんだろうなあ。  でも、正直手取りも少ない今の仕事。それに何より、まだ着られる服を捨てるのはもったいないんだもの。  というわけで、新しく加わった服と今までの服とに仲良くしてもらって、これから深まる秋、おしゃれを楽しもうと思っている。
posted by つむ at 12:39

30歳になりました②

30歳になったことはめでたいことではあるのだが、私もやはり女性のはしくれ。20代ではなくなったこと、いくらなんでももはや「女の子」ではないこと、には、複雑な思いは否定できない。 日本だけなのかなんだか知らないが、どうも「女性=若くなければならない」というような考えがかなり浸透していて、三十路となるともう女性として終わりみたいな気持ちになってしまう人も少なくないようだ。 しかし、ここで今一度、気を引き締めなおして、外見だけでなく内面も、発展させたい部分は発展させ、修復すべき所は修復して、より成熟した「自分」になりたい、と、半ばむりやり私は思おうとしているのである。 20代のうちはなんとかなったことが、30代になると取り返しがつかなくなる。そんなことがこれからいろいろ出てくるような気がする。 掃除と同じだ。汚れに気づいたらすぐ拭く。これからはこまめにそういうことをやっていかないと(肌の手入れも、人間関係も)気づいたらこびりついた汚れが一生取れないということにもなりかねない。 硬い話もなんなので、「自分のこれまでの誕生日」について、思いをめぐらしてみたい。 1982年。8歳になるのがすごく嫌だった。「7」という数字が気に入っていたので、7歳と別れるのが惜しかったのだ。 1984年。10歳。チェッカーズのファーストアルバム「絶対チェッカーズ」というのがほしくてほしくて、なけなしの小遣いを貯め続けていたその年の誕生日、父がなんと買ってくれたのだ。あれはうれしかったな。 1987年。13歳になるのがまた嫌だった。12歳までは子供で、13歳となるともう子供ではないと思い込んでいたのだ。中学の先輩たちの(つまり14、15歳の)ぶくぶく太った姿をみると、私もああなるのかとげんなりしたものだ。まあ結局、14になっても15になっても、体型は変わらなかったが。 1994年。20歳の誕生日、椎間板ヘルニアを患っていた私は病院に行き、帰りに近所の温泉に入った。なんだか年寄りじみた誕生日だ。 1997年。23歳の誕生日は、大好きなカーネーションが渋谷公会堂でライブを行った日。しかし私は極端に忙しい仕事をしていたため、渋公はおろか、ツアーにさえも行けなかった。この年はそれ以外にもとにかくヘビーな一年だった。 2000年。26歳。婚約指輪をもらった(きゃ)。 そして昨日、2004年。30歳の誕生日。自分のためにケーキを3ヶ買ったところ、なんと夫も3ヶ買ってくれていて、夫は基本的にケーキは食べないため、6ヶを一人で食べた。むむむ。おいしかったけど。 母、兄、友人からお祝いメール。やはり幾つになっても誕生日は嬉しい。
posted by つむ at 17:51

30歳になりました①

今日で30歳になった。 正直数日前までは、20代が終わることに複雑な気持ちがあったのだが、今は、ともかく30年間無事に生きてこられたことに感慨深い思いでいる。 そもそも、仮死状態で生まれた私は、30年前にあっけなくこの世から消えていたかもしれないのだ。生きて産まれてこなかったかもしれないのだ。 30年前の今ごろ、予定日を過ぎても私はなかなか出てこなかった。 もうだめかも……と焦る母に、父が「この土日、泊まりがけで釣りに行ってくる」とのたまった。 母は当然ぶち切れ、「名前を考えても無駄よ。帰ってきたら、何もかもなくなってるかも知れないから……!」と怒りをぶつけた。 それでも父は釣りに行ってしまった。 そしてその土日、母は産気づいたのである。 またかなりの難産で、痛みと麻酔で朦朧とする中、私は出てきた。 しかし泣かない。 お腹の中に長い間居すぎたため、どろどろになった羊水が鼻などにつまり、呼吸ができなくなっていたのだ。 このままでは死んでしまう。いろいろな器具を使ってどろどろになったものを除去し、やっとのことで弱い産声をあげたという。 しかも、我が家では「女の子は生まれない。生まれてもすぐ死んでしまう」というジンクスがあったにもかかわらず、私は女の子だった!  翌日である。釣りから帰ってきた父が見舞いにやってきた。 開口一番「負けたー」と。 女の子は生まれないと思い込んでいたのである。 「何か賭けといたらよかった」という母に、風邪をひいていた父はマフラーから目だけ出して、いつまでも照れくさそうに笑っていたという。 あれから30年。あのジンクスを破り、見事私はここまで生きてこられた。周囲の人々に感謝の気持ちでいっぱいである。
posted by つむ at 18:25

学校にまにあわない……夢ばかり見る

 ほんっとうに、学校の夢ばかり見るのである。学校を出てもう10年になろうかというのに。  パターンもさまざまである。  1.体育の授業があるのに、体操服を忘れてきた  2.次が体育の授業なのに、運動場にたどりつけない  3.とっくに学校が始まっているのに、制服がどうしてもうまく着られない  4.日直なのに、ホームルームの司会をするのを忘れた  5.夏休みの最終日になっても宿題がまったくできていない  6.テスト期間中なのに、いろんなトラブルに巻き込まれて全然勉強ができない  7.給食当番なのに、エプロンを忘れてきた  8.絶対当てられる授業だとわかっているのに、宿題をしてきていない  9.陸上部の練習をしているのだが、足が重くて走れない  10.自分はもう結婚して仕事もしているのに、なぜか高校にも行っていて、また大学受験の勉強をしている  ほかにもいっぱいある。  ちなみに今朝の夢は、体操服を忘れてきて、他のクラスの友達に借りに行くんだけれど、なぜか友達がみんな冷たくて全然貸してくれない、そのうちに授業が始まってしまう、というもの。うなされていたらしい。  なぜか大学の夢はほとんど見ない。小学校と高校の夢が圧倒的に多い。「間に合わない」系の夢は小学校、「勉強ができていない」系の夢は高校であることが多い。  学校の夢以外では、電車に乗ってどこか知らない場所へ行く夢をよく見る。  抑圧と逃避……でしょうか。そんなにストレスはないつもりなんだけどな。  夢分析ができる方がいれば、ぜひ分析してみてください。 さんだる
さんだる
posted by つむ at 18:08