私と音楽―カセットウォークマン編―

父というのはかなり慎重な人で、家電を買うとなるとあらゆるメーカーのパンフレットを入手し、何度も店に足を運んで決めるタイプの人であった。 
 安かったからとか見た目がきれいだからというだけの理由でポンと買ってしまって後悔するというタイプの人ではない。 
 そんなわけで我が家にやってきた初めてのシステムコンポは、ONKYO Radianという機種のものであった。南野陽子がイメージキャラクターだったのだ、一応。
 これ、ものすごく音も良くて、機能も充実していて、家族みんなが飽きてしまってからも私だけはかなり長いこと愛用していた。
 さすがに30年近く経った今となっては、CDのOPENボタンを押しても開かなくなってしまったけれど…。

 高校1年の時、貯めたお年玉をはたいて、初めてのウォークマンを(もちろんカセットのですよ)購入した。
 ケチってリモコン付きのを買わなかったのでのちのちまで不便を感じることにはなるんだけれど、やはりどこでも好きな音楽を聴けるというのはうれしかった。
 大学に入り一人暮らしを始めた兄は、SANSUIだったかな、これまたちょいマニアックなメーカーのステレオを買っていたので、余ったDENONのCDデッキを私に譲ってくれた。
 そこにウォークマン用のSONYのちっちゃなスピーカーを買ってつなげ、勉強机にちょこんと置いた。 
 これで自分の部屋でもCDを聴けるようになったのだった。

 そうはいっても、母校であるO高校は相当キビシくて。
 宿題がごまんとあって、小テストも毎日のように。
 クラブ活動も熱心で、帰宅すればもうへとへと。
 音楽聴いてる暇なんてなかったはずなんだけれど、高校1年当時の私はかなり荒れていたので、宿題もそこそこにリビングのシステムコンポにかじりついて「たま」とかレピッシュとかのCDをカセットにダビングして聴いて、夜遅く就寝という毎日だったのだ。
 志望校に入学してはみたものの、成績は振るわず、入ったクラブにも居場所はない。
 クラスには友人が一人もできない。
 気持ちが不安定で、本当にいつグレてもおかしくない状態だったのだ。
 いまだにあの頃のことを思い出すと……といってもあまりに辛かったのでほとんどの記憶を意識的に消してしまっているのだけれど、暗い気持ちになる。本当に音楽だけが心のよりどころだったのだ。
 中島みゆき「親愛なる者へ」というとてつもなく重いアルバムを買って、弾けもしないフォークギターで弾き語りの真似ごとをしてみたりしたのもこの頃である。
 その後、合わないクラブを辞めて別のクラブに入部し、仲間たちにも恵まれてやっと明るい青春時代が到来するんだけれど、相変わらず成績はかなりヤバく(極端なのである。英語と国語と音楽は学年ベスト10以内、それ以外はワースト10以内というような)、その他の問題もあって、やはり音楽は手放せなかった。

 「そ×××事」「愛××つ」「ど××××も」「ほ××××いよ」「君××××けで」とかが流行っていた時代なんだけれど、かなりねじ曲がっていた私はこういうのにはまるで共感できなかった。
 いまだに「頑張れソング」的なものを、子供とかに聴かせる分にはいいけれど、自分の手元に置いとこうとは思わない。
 だから、たとえば東日本大震災の直後、「あなたが選ぶ今聴きたい、聴いてほしい元気が出る歌」みたいな番組がけっこうあったけれど、自分の中にそういった曲のストックが全然ないのに改めて気づいて愕然となったのだった。

 当時ずっと聴いてたたまのセカンドアルバム「ひるね」。馥郁とした名曲ぞろい。
 ひるね(紙ジャケット仕様) [BRIDGE-201] - たま
ひるね(紙ジャケット仕様) [BRIDGE-201] - たま

私と音楽―カセット編―

 はじめて自分専用の音楽機器を買ってもらったのは小学5年生の冬、「SANYO おしゃれなテレコ WU4」というラジカセだった。
 ダビング、それも高速ダビングができるのが画期的だったラジカセ、CMもよく流れていたので覚えている人も多いだろう。
 真っ赤な色もうれしくて、表面を拭くなんとかポリッシュというのを買ってせっせと磨いていたし、ヘッド部分も綿棒と専用の薬できれいにクリーニングしていた。
 ヘッド部分に磁器が溜まって音質が悪くなるのを防ぐ、カセット型の機械(当時で4千円くらいした)も頑張って買って、定期的に消磁(しょうじ)(この言葉を知ってる人は……?)していた。
 現在ズボラ主婦の私からは考えられないくらい、当時はきちんとメンテナンスしていたのだ。

 ラジオ(おもにFM)もよく聴いてはエアチェック(←もはや死語か?)していたものだ。
 再生と録音ボタンを同時に押すと生じる「ボンッ」という音が録音されないようにするべく、あらかじめ一時停止ボタンを押しておいたうえで再生・録音ボタンを押し、好きな曲がアナウンスされるとすかさず一時停止ボタンを解除する、そうすると「ボンッ」音は入らずにすむ、というテクも試行錯誤の上身につけたものだ(この話を夫にすると「そうやったんや! 僕、一時停止ボタンって何のためにあるんやろうと思ってた」とのたまった)。
 
 そうそう、おそらく30代以下の人々は知らないだろうけれど、当時はアルバムがリリースされると、LPレコードだけじゃなくカセット版も発売されていたのです。
 LPレコードはやっぱりどうしても大きくて扱いづらい。
 傷も付くし、最悪割れちゃったりするともう聴けなくなる。
 裏返すのも面倒だ。
 というわけで、私もチェッカーズの4枚目のアルバム以降はカセット派になってしまった。もちろん買うとすぐに空のカセットにコピーしてそっちを聴いていた。
 父も北欧フォークから菅原洋一までフォローする音楽好きだったのだが、このころになるとやはりカセット派になり、ユーミンとか中島みゆきとかのカセットを買ってきては車内でかけたりしていた。
 
 そんなこんなで私とカセットテープ、そしてラジカセの蜜月はかなり長く続いたのだが、時代はすっかりCDにチェンジしていた。
 兄の高校入学祝に父がDENONのCDデッキを買い(スピーカーもついてなくて、聴くためにはヘッドホンがないといけない)、兄も中森明菜とかTMネットワークとか続々CDを購入していき、私も聴かせてもらったりするようになった。
 中でもTMはかなり好きで、当時の私の小遣いではちょっと厳しい価格だった「GB」とか、まだ買える部類だった「PATIPATI」(どちらもCBSソニー出版。のちのソニーマガジンズ)などの音楽雑誌を、TM目当てに買うようになったのが中学1年生の頃。
 バンドブームを牽引していくことになるユニコーン、レピッシュ、バクチク、ブルーハーツといったバンドたちが顔を出し始めた頃だ。
 中学時代というのはどなたもそうかもしれないけれど本当にハードで、学校、部活、塾、友達づきあい、家庭と、いろいろ悩み深い日々だったのだけれど、夢中になれる音楽が私を救ってくれたのだと思っている(それは現在に至るまで)。
  
 生家を取り壊して現在の実家が建てられたのが中学1年の11月。 その後少しずつ家電を新調し、ついに我が家の音楽状況にも革命的変化が……。
 CDをメインとしたコンポを父が買ったのである(続きは次回)。

 ちなみに兄が買ったCDで私もよく聴いてたのはこれ。
Gift for Fanks(DVD付) - TM NETWORK
Gift for Fanks(DVD付) - TM NETWORK

私と音楽―レコード編―

 もし日本の電力が30%カットされると、1980年くらいの水準に戻ることになるのだとどこかで聞いた。
 つまりパソコンなし、コンビニもそんなになし、ビデオなし、音楽聴くならごっついステレオまたはダビングできないラジカセ、頑張ってもウォークマンどまり……。 だった頃の電力しかないということ。

 私が音楽を聴き始めたのはまさにそんな頃、家には父親のものごっついステレオ(ラジオとレコードしか聴けない)が堂々と鎮座ましましていた。
 1983年の夏、10歳年上の従兄がくれたボロいラジカセと、当時のアイドル(堀ちえみとか中森明菜とか)が入ったカセットを、兄と二人で何度も聴いていた。

 1984年になり、チェッカーズが大ブレイク。 小学4年生だった私もとりこになり、ファーストアルバム「絶対チェッカーズ」がほしくて仕方なかったものの、2,800円ということは、当時の私のお小遣いからすると、7か月間何も買わずに貯め続けなければならない。 それでも一生懸命貯金する私を不憫に思ったのか、父が誕生日に買ってくれたのだった。
 その後もぼちぼちとアルバムや12インチシングル(これがどういうものかわかる人は歳がばれる)やらを買ってはカセットにダビングしたりしていた。 父がカセットだけしか聴けないデッキを購入し、ステレオに接続していたのだ。

 父の教えとして「レコードは割れる前にちゃんとカセットにコピーしとけ」というのがあり、しかし小学生の私にはTDK-ARとかADとかそういう「音楽向け」のカセットを買うお金はなく、「音楽にはやや不向き」と書いてあるTDK-DSというカセットを仕方なく買い、確かに音は良くなかったかもしれないが、宝物のように大事に聴いていた覚えがある。
 もちろん、そのごつくてオンボロのステレオで必死にラジオ大阪を入れて、「あぶない!チェッカーズ」という番組を毎週楽しみに聴いていたりもした。

 そのうち、当時サンテレビでやっていた(もともとは横浜のローカル番組だった)「ミュージックトマト」という番組をみるようになり、「世の中にはチェッカーズだけじゃなく、いろんなかっこいいアーティストがいるんだ!」と衝撃を受けたものだ。
 米米クラブ、BOOWY、バービーボーイズ、ストリートスライダーズ、レベッカ、TMネットワーク、etcetc……今でこそ「おおっ!!」という感じの大御所ばかりだが、当時は海のものとも山のものとも…というような若手バンドだったのだ。
 一緒に見ていた兄はそういうメジャーな人々にばかり注目していたが、私はなぜか、セールス的には大成功とはいかなかったかもしれないがイカシタ(←死語ごめん)アーティストについつい目が行ってしまっていた。
 ポータブルロック、中川勝彦、早瀬優香子、PINK、くじら、パール兄弟、ZELDA、、、、、、
 そういう嗜好が現在の私を形づくっているのは事実だと思う。

 そんな感じで中学校に入り、CD時代、そしてバンドブーム時代へと突入する中、……さてこの続きはまた今度(読んでくれる人がいればの話だが)。
絶対チェッカーズ - チェッカーズ
絶対チェッカーズ - チェッカーズ

加納朋子「我ら荒野の七重奏」を読んで(PTAだけじゃない、クラブ親の会も……)

 前作「七人の敵がいる」に心を打たれ、元気をもらえたPTA副会長にして学童保護者会会長の私。
 こちらももちろん読んでみました。
 ヒロイン・山田陽子はバリバリの編集者。 仕事にかまけて一人息子・陽介の進路にまで気が回らない。 
 ところが陽介が突然、吹奏楽で有名な私立中学に行きたいと言い出し、にわかに受験勉強をするも、不合格。
 仕方なく公立中学に進学するが、吹奏楽部ではやりたかったトランペットではなく、ファゴットという聞いたこともない楽器を担当させられ、陽子の怒りが爆発。 職員室に押しかけて顧問の先生にまず一発ぶちかます。
 ここで出会った、吹奏楽部親の会の役員・東京子にも、とあることから大迷惑をかけてしまい、すっかり嫌われてしまう。
 しかししゅんとしている陽子ではない。 なんてったって吹奏楽部親の会は、ボスママ・江賀さん(女帝エガテリーナ!)が牛耳っている組織。 このままでは女帝の思うがままである。 小学校PTAで培った人脈を駆使し、毒舌家だが陽子の一番の理解者・玉野遥、気が弱いが陽子に心酔している村辺千香、ヤンママだが意外と頭が切れる五十嵐礼子、そして多忙な娘に代わって親の会に所属するおじいちゃん・赤西氏(ゴルビー)を巻き込んで、女帝に宣戦布告。 女帝を失脚させるべく大活躍するのである。

 近隣の中学と協力して市民ホールの予約に並ぶ(真夜中も並ぶ! そして陽子は真夜中の担当に……。さらに悪いことにゲリラ豪雨に見舞われるという……。そんなこと本当にあるんかいな、でも実際あるから小説になるんだろうな)、演奏会の引率に四苦八苦、何が何でも全国大会進出!主義の女帝との攻防、などのエピソード一つ一つが強烈で、うちの子にはできれば吹奏楽部には入ってほしくないな、しかし彼は音楽が好きそうだし、地元の公立中学で文化部といえば吹部くらいしかないし……と、困惑しながら読み進めた。
 前作に比べ、ギャグが格段に多く、陽子のブルドーザーぶりを形容する「大型台風」「猛獣を通り越して怪獣」「最終兵器投入」「野生の王国」には大笑いした。加えて、女帝エガテリーナに対抗できるのはグラスノスチ・ペレストロイカのゴルビーしかいないと、ゴルバチョフにそっくりの赤西おじいちゃんを役員に抜擢するというくだりも。大笑いしてほっこりして、明日からのPTA活動も頑張ろうと思える、そんな一冊である。
我ら荒野の七重奏 (集英社文庫)
我ら荒野の七重奏 (集英社文庫)

加納朋子「七人の敵がいる」を読んで

 こちらの小説は、数年前に真琴つばささん主演でドラマ化もされたそうで、私もちょっとは気になっていた気がするのだが、機会がなくて一度も見ることができなかった。
 しかしマミさんが演じるにふさわしいと思える、この強気なヒロイン・山田陽子。 
 いいねー、何も自分の意志を持たずにゆらゆらしてるだけのヒロインじゃなく、のっけから「私はフルタイムで働いているのでPTA役員はできません! そういうのは専業主婦の方の役目なのでは!?」とぶちかまし、ほぼすべてのおかーさんたちを敵に回してしまうのである。
 そんな彼女がクラス委員、学童保育の保護者会会長、自治会長、果てはサッカークラブの保護者会会長まで(リアルでは絶対無理である)こなすはめになり、ママたち、義実家、男ども、夫、息子、教員、そしてラスボスたるPTA会長・上条圭子(ドラマでは小林幸子だったそうで、うーん……)との最終決戦!!

 「ミス・ブルドーザー」の異名の通り仕事もブルドーザーのごとくこなしまくり、PTAの仕事も、あちこちとぶつかりながらこなしまくり、給食費をくすねようとする会計係の村辺千香をいさめ(千香は陽子に心酔するようになる)、その千香の娘・真理がロリコン教師に迫られている事実を暴いて糾弾。肝っ玉母さん・玉野遥、ヤンママの五十嵐礼子といった面々とともに、猪突猛進に突き進んでいくのである。

 リアルではこんなの無理だ。
 ボスママには頭を垂れ、自分の役割だけとにかく何事もなく終わればいい……。またはうまいこと逃げおおせればいい……。
 そんなママが大半だろう。私もそう。
 陽子も役員なんてできない! 6年間逃げまくってやる! だったのにそうはいかず、そうなったらなったで全力でやっちゃう。 やらなくてもいいことまでやっちゃう。 なんだかんだと時間あるんじゃないのか陽子!? と勘ぐってしまうくらい。
 できる人の所に業務は押し寄せていく、ってことなのかしら。
 PTAおよび学童の保護者会でどんよりしている私に、元気をどっさりくれる小説なのです。七人の敵がいる (集英社文庫)
 

七人の敵がいる (集英社文庫)
集英社
2012-03-16
加納 朋子

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宝塚歌劇団月組公演「夢現無双」「クルンテープ 天使の都」

 4月13日(土)、ムラの千秋楽ももうすぐですね。観てきました!

 ご存じ宮本武蔵の半生をミュージカル化した「夢現無双」。

 といっても歴史に詳しくない私はよく知らなくて(さすがに巌流島くらいは知ってるけれど)、次々に出てくる剣の達人との戦いにそれほどワクワクする感じがしなくて、なんというか、全体にさらーっと駆け足で流れてしまった印象。

 沢庵和尚(光月るう)にどんなに諫められても、剣を捨てられない武蔵の心情とか、お通(美園さくら)の思いに応えたくても応えられない揺れ動く思いとか、そういうドラマ部分をもう少し掘り下げて丁寧に描いてほしかったかな(偉そう)。

 武蔵(珠城りょう)の幼馴染で、実力がありながら身を持ち崩す又八(月城かなと)が笑いをとれる役で儲け役。ひょんなことから佐々木小次郎(美弥るりか)になりすまし、モテ男になるも、本物の小次郎に出くわして……! という場面をれいこちゃん(月城)がコミカルに演じた。かっこいいれいこちゃんにはもったいない役のようにも思えたが、新境地か。

 ショー「クルンテープ 天使の都」は、タイというテーマについていくのがやっとで、いつものように爆泣きというところまではいかなかったが、もちろんきらびやかで十分楽しめた。

 なんてったって、ありちゃん(暁千星)のおみ足!!

 ショートパンツに美脚にピンヒールで踊りまくる!!

 とにかくヒールが若い頃から苦手で、ローヒールばかり、それでも足が疲れちゃう私は、ピンヒールで歩ける人を無条件に畏敬の念で見てしまうのだが、踊るんだよ! まあ身体能力抜群のジェンヌさんにとってはなんてことないのだろうが、やっぱりすごいよね。

 すごいといえば輝月ゆうま。 娘役にしてはかなり大柄のグリーンのドレス姿の人、男役なのかな? ソプラノも男役の声もこなしちゃうあのすごい歌唱力の人だれ? あとでプログラムで確認して、あの人がまゆぽんなのねと初めて認識。 「学校へ行こう!」のタカラヅカ受験特集で、身体が硬くて泣きながら開脚していたあの子がと思うと、感慨深い。
 
 桜も満開の時期、土曜日とあって劇場内も混み混み。
 なにかおみやげでも……と思うも、売店も人でいっぱい。 仕方なく(?)、「ラ・ロンド」で公演デザートを食べつつほっと一息。

 「花のみち」の桜ばかりに気を取られてしまいますが、足元にはこんな可憐なすみれも咲いていますよ。
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恩師からの贈り物! お礼状の書き方って難しい……

 PTAに、学童保育の保護者会に、もちろん仕事にと、なんかわけわからない日々を過ごしている私のもとに、高校時代の恩師から小さな荷物が届きました。 
 恩師はビデオ撮影が趣味で、在学中から私たちの様子を一年間撮影したビデオをいただいたりしてきたのですが、それをDVD化したものを送って下さったのです

 さて問題は、お礼状をいかにして書くか!?

 「恩師からの贈り物に対するお礼状」の文例をネットで検索してみても、そもそも卒業から何十年もたった教え子に贈り物を下さる恩師自体あまり存在しないので、ピッタリくる文例が見つかりません。
 なのでしかたなく(?)四苦八苦して自分で書くことにしました。

 まずは書き出しと結びです。
 「前略」「草々」というのは恩師には失礼な感じがするし、「拝啓」「敬具」というのも堅苦しい。
 男性なら「拝啓」「敬具」でいいのですが、女性の場合柔らかさを出すために、「つつしんで一筆差し上げます」「かしこ」または「ごめんくださいませ」という表現があるそうなので、それを採用。

 次に季節の挨拶を入れます。
 「早春の候」なんてのはいかにも堅苦しいかなーと思ったり。
 自分の言葉で普通の文章で柔らかく、「日差しのやわらかさに春のきざしを感じるこの頃です」「例年になく雨の多い春の始まりです」などという感じで、と……だんだん筆がのってきました。

 次にはもちろんお礼の言葉です。
 これはもうストレートに、まず「このたびは○○をいただきまことにありがとうございました」から始まり、どれだけ嬉しかったか、贈り物を開けた時の感想、そういったものを書いていきます。ふー。緊張もあって、だんだん下書きを書く手も疲れてきましたが、もうひとふんばり……。

 恩師に対してなので、自分の近況も少し入れて、と……(自分のことを書く時には、「私」という言葉が上の方に来ないように気をつけます)。

 終わりに近づくにあたり、また次回の同窓会などでお会いしたい旨を書いて、最後の結びがなあ……。

 すごく迷うのがここなんですよ。

 「ご自愛ください」という言い方は目上の人には失礼だそうだし、「末筆ではございますが、先生の……」とやってしまうと「先生」という言葉が下の方に来てしまうし(神経質にならなくてもいいのかもしれませんが、あまり下の方にはならない方がいいようです。縦書きゆえの配慮が必要なところです)、「季節の変わり目の折、御体御大切になさってください」なんていうのも上からっぽいし、「御身体おいといください」っていうのが一番美しい大和言葉なんだそうだけれど、ほとんど死語だし……。
 
 てな感じでのたうち回りながら、「先生のますますのご健康とご活躍をお祈りしつつ、まずは書中にて御礼のみ申し上げます」と結んで、やっとのことで書き終えました

 読み返すと、いかにもネットで文例集を調べまくって書いたみたいな手紙になってしまいました。 
 本当はもう少し肩の力を抜いて、本音とかユーモアも織り交ぜつつ、しかし恩師に対する敬意と大人としての品格も忘れない手紙をすらすらと書ければ理想なんですが、なにせ、みなさんはここ数年で縦書きの便せんに気の張った手紙を書いて切手を貼ってポストに投函するなんていう経験何回あります? あんまりないでしょう? 私もないです。 ほとんどメールとかLINEになってしまってますよね。
 思えば、何度か(今回が初ではないのです)恩師から贈り物が届くのは、「たまにはちゃんとした手紙を書く練習をしなさい」という恩師からの無言の宿題なのかもしれないなあと……。

 こんな雑誌も参考にしました。

クロワッサン 2018年6/25号 No.975[スマホ時代の、伝わる文章術。]
マガジンハウス
2018-06-09

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