私と音楽―カセット編―

 はじめて自分専用の音楽機器を買ってもらったのは小学5年生の冬、「SANYO おしゃれなテレコ WU4」というラジカセだった。
 ダビング、それも高速ダビングができるのが画期的だったラジカセ、CMもよく流れていたので覚えている人も多いだろう。
 真っ赤な色もうれしくて、表面を拭くなんとかポリッシュというのを買ってせっせと磨いていたし、ヘッド部分も綿棒と専用の薬できれいにクリーニングしていた。
 ヘッド部分に磁器が溜まって音質が悪くなるのを防ぐ、カセット型の機械(当時で4千円くらいした)も頑張って買って、定期的に消磁(しょうじ)(この言葉を知ってる人は……?)していた。
 現在ズボラ主婦の私からは考えられないくらい、当時はきちんとメンテナンスしていたのだ。

 ラジオ(おもにFM)もよく聴いてはエアチェック(←もはや死語か?)していたものだ。
 再生と録音ボタンを同時に押すと生じる「ボンッ」という音が録音されないようにするべく、あらかじめ一時停止ボタンを押しておいたうえで再生・録音ボタンを押し、好きな曲がアナウンスされるとすかさず一時停止ボタンを解除する、そうすると「ボンッ」音は入らずにすむ、というテクも試行錯誤の上身につけたものだ(この話を夫にすると「そうやったんや! 僕、一時停止ボタンって何のためにあるんやろうと思ってた」とのたまった)。
 
 そうそう、おそらく30代以下の人々は知らないだろうけれど、当時はアルバムがリリースされると、LPレコードだけじゃなくカセット版も発売されていたのです。
 LPレコードはやっぱりどうしても大きくて扱いづらい。
 傷も付くし、最悪割れちゃったりするともう聴けなくなる。
 裏返すのも面倒だ。
 というわけで、私もチェッカーズの4枚目のアルバム以降はカセット派になってしまった。もちろん買うとすぐに空のカセットにコピーしてそっちを聴いていた。
 父も北欧フォークから菅原洋一までフォローする音楽好きだったのだが、このころになるとやはりカセット派になり、ユーミンとか中島みゆきとかのカセットを買ってきては車内でかけたりしていた。
 
 そんなこんなで私とカセットテープ、そしてラジカセの蜜月はかなり長く続いたのだが、時代はすっかりCDにチェンジしていた。
 兄の高校入学祝に父がDENONのCDデッキを買い(スピーカーもついてなくて、聴くためにはヘッドホンがないといけない)、兄も中森明菜とかTMネットワークとか続々CDを購入していき、私も聴かせてもらったりするようになった。
 中でもTMはかなり好きで、当時の私の小遣いではちょっと厳しい価格だった「GB」とか、まだ買える部類だった「PATIPATI」(どちらもCBSソニー出版。のちのソニーマガジンズ)などの音楽雑誌を、TM目当てに買うようになったのが中学1年生の頃。
 バンドブームを牽引していくことになるユニコーン、レピッシュ、バクチク、ブルーハーツといったバンドたちが顔を出し始めた頃だ。
 中学時代というのはどなたもそうかもしれないけれど本当にハードで、学校、部活、塾、友達づきあい、家庭と、いろいろ悩み深い日々だったのだけれど、夢中になれる音楽が私を救ってくれたのだと思っている(それは現在に至るまで)。
  
 生家を取り壊して現在の実家が建てられたのが中学1年の11月。 その後少しずつ家電を新調し、ついに我が家の音楽状況にも革命的変化が……。
 CDをメインとしたコンポを父が買ったのである(続きは次回)。

 ちなみに兄が買ったCDで私もよく聴いてたのはこれ。
Gift for Fanks(DVD付) - TM NETWORK
Gift for Fanks(DVD付) - TM NETWORK

私と音楽―レコード編―

 もし日本の電力が30%カットされると、1980年くらいの水準に戻ることになるのだとどこかで聞いた。
 つまりパソコンなし、コンビニもそんなになし、ビデオなし、音楽聴くならごっついステレオまたはダビングできないラジカセ、頑張ってもウォークマンどまり……。 だった頃の電力しかないということ。

 私が音楽を聴き始めたのはまさにそんな頃、家には父親のものごっついステレオ(ラジオとレコードしか聴けない)が堂々と鎮座ましましていた。
 1983年の夏、10歳年上の従兄がくれたボロいラジカセと、当時のアイドル(堀ちえみとか中森明菜とか)が入ったカセットを、兄と二人で何度も聴いていた。

 1984年になり、チェッカーズが大ブレイク。 小学4年生だった私もとりこになり、ファーストアルバム「絶対チェッカーズ」がほしくて仕方なかったものの、2,800円ということは、当時の私のお小遣いからすると、7か月間何も買わずに貯め続けなければならない。 それでも一生懸命貯金する私を不憫に思ったのか、父が誕生日に買ってくれたのだった。
 その後もぼちぼちとアルバムや12インチシングル(これがどういうものかわかる人は歳がばれる)やらを買ってはカセットにダビングしたりしていた。 父がカセットだけしか聴けないデッキを購入し、ステレオに接続していたのだ。

 父の教えとして「レコードは割れる前にちゃんとカセットにコピーしとけ」というのがあり、しかし小学生の私にはTDK-ARとかADとかそういう「音楽向け」のカセットを買うお金はなく、「音楽にはやや不向き」と書いてあるTDK-DSというカセットを仕方なく買い、確かに音は良くなかったかもしれないが、宝物のように大事に聴いていた覚えがある。
 もちろん、そのごつくてオンボロのステレオで必死にラジオ大阪を入れて、「あぶない!チェッカーズ」という番組を毎週楽しみに聴いていたりもした。

 そのうち、当時サンテレビでやっていた(もともとは横浜のローカル番組だった)「ミュージックトマト」という番組をみるようになり、「世の中にはチェッカーズだけじゃなく、いろんなかっこいいアーティストがいるんだ!」と衝撃を受けたものだ。
 米米クラブ、BOOWY、バービーボーイズ、ストリートスライダーズ、レベッカ、TMネットワーク、etcetc……今でこそ「おおっ!!」という感じの大御所ばかりだが、当時は海のものとも山のものとも…というような若手バンドだったのだ。
 一緒に見ていた兄はそういうメジャーな人々にばかり注目していたが、私はなぜか、セールス的には大成功とはいかなかったかもしれないがイカシタ(←死語ごめん)アーティストについつい目が行ってしまっていた。
 ポータブルロック、中川勝彦、早瀬優香子、PINK、くじら、パール兄弟、ZELDA、、、、、、
 そういう嗜好が現在の私を形づくっているのは事実だと思う。

 そんな感じで中学校に入り、CD時代、そしてバンドブーム時代へと突入する中、……さてこの続きはまた今度(読んでくれる人がいればの話だが)。
絶対チェッカーズ - チェッカーズ
絶対チェッカーズ - チェッカーズ

加納朋子「我ら荒野の七重奏」を読んで(PTAだけじゃない、クラブ親の会も……)

 前作「七人の敵がいる」に心を打たれ、元気をもらえたPTA副会長にして学童保護者会会長の私。
 こちらももちろん読んでみました。
 ヒロイン・山田陽子はバリバリの編集者。 仕事にかまけて一人息子・陽介の進路にまで気が回らない。 
 ところが陽介が突然、吹奏楽で有名な私立中学に行きたいと言い出し、にわかに受験勉強をするも、不合格。
 仕方なく公立中学に進学するが、吹奏楽部ではやりたかったトランペットではなく、ファゴットという聞いたこともない楽器を担当させられ、陽子の怒りが爆発。 職員室に押しかけて顧問の先生にまず一発ぶちかます。
 ここで出会った、吹奏楽部親の会の役員・東京子にも、とあることから大迷惑をかけてしまい、すっかり嫌われてしまう。
 しかししゅんとしている陽子ではない。 なんてったって吹奏楽部親の会は、ボスママ・江賀さん(女帝エガテリーナ!)が牛耳っている組織。 このままでは女帝の思うがままである。 小学校PTAで培った人脈を駆使し、毒舌家だが陽子の一番の理解者・玉野遥、気が弱いが陽子に心酔している村辺千香、ヤンママだが意外と頭が切れる五十嵐礼子、そして多忙な娘に代わって親の会に所属するおじいちゃん・赤西氏(ゴルビー)を巻き込んで、女帝に宣戦布告。 女帝を失脚させるべく大活躍するのである。

 近隣の中学と協力して市民ホールの予約に並ぶ(真夜中も並ぶ! そして陽子は真夜中の担当に……。さらに悪いことにゲリラ豪雨に見舞われるという……。そんなこと本当にあるんかいな、でも実際あるから小説になるんだろうな)、演奏会の引率に四苦八苦、何が何でも全国大会進出!主義の女帝との攻防、などのエピソード一つ一つが強烈で、うちの子にはできれば吹奏楽部には入ってほしくないな、しかし彼は音楽が好きそうだし、地元の公立中学で文化部といえば吹部くらいしかないし……と、困惑しながら読み進めた。
 前作に比べ、ギャグが格段に多く、陽子のブルドーザーぶりを形容する「大型台風」「猛獣を通り越して怪獣」「最終兵器投入」「野生の王国」には大笑いした。加えて、女帝エガテリーナに対抗できるのはグラスノスチ・ペレストロイカのゴルビーしかいないと、ゴルバチョフにそっくりの赤西おじいちゃんを役員に抜擢するというくだりも。大笑いしてほっこりして、明日からのPTA活動も頑張ろうと思える、そんな一冊である。
我ら荒野の七重奏 (集英社文庫)
我ら荒野の七重奏 (集英社文庫)