河合香織「帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件」(1)
とある理由があり、ノンフィクション作家・河合香織さんの著作はすべて読んでいるのだが、その中でもぶっちぎりに私の中に深く残って消えてくれないのが、本書の世界である(もちろん河合さんの著作はどれも素晴らしい。その中でも特に、私にとっては、ということである)。
暴力に支配された家庭に生まれ育ち、離婚歴2回、工場で派遣社員として働く47歳の冴えない中年男・山田敏明(仮名)。
そして実の両親に見捨てられ、祖父母らに育てられている10歳の少女・石井めぐ(仮名)。
望まれずに生まれ、誰からも大事にされずに生きてきたという共通点を持つ二人が、2003年の真夏に偶然出会い、土日となればめぐは山田のアパートを訪ね、遊園地、動物園、カラオケ、ファミレス、健康ランドなどなど、二人はめぐの門限まで遊び倒すようになる。
めぐは山田の金を湯水のように使い、山田はそんなめぐとの時間を増やすために仕事をやめてしまい、なけなしの生活保護の金さえもめぐとの遊びに消えていく。
めぐの家族はといえば、門限までに帰してくれれば何も言わないという、無関心・無責任とも思える態度。
めぐには虐待と思われる傷跡もあり、山田はめぐを救うために児童相談所にも足を運ぶが、児相も警察も本腰を入れてくれない。
「うちには帰りたくない」というめぐと山田は、とうとう門限を破って健康ランドに連泊することになる。
さらにその健康ランドで客を恐喝し、得た金をもって沖縄へ。
山田はその地で仕事につき、めぐと二人で生きていくことを真剣に考えるが、8日目、ついに逮捕となる。
実刑判決が下り、山田は収監。事件は解決した。
誰かが死んだわけでもない。事件としてはただそれだけの事件である。
しかしここまで読んでいただければ、「?」と思わないだろうか。
誘拐でも連れ去りでも連れまわしでもないのでは? 恵まれない境遇の、年の離れた男女が、新天地を求めて逃避した、これって事件ですらないのでは?
もちろん、未成年の女児を赤の他人である成人が、自宅に帰さず何日も連れ歩くのは法的には犯罪である。しかし、山田の家に何度もやってくるのはめぐの方であり、行きたい場所を指定するのも常にめぐであり、山田は車で連れて行って一緒に遊ぶだけといっていい。これは誘拐なのだろうか?
更に詳しく本書を読んでいただければわかるのだが、山田の金を管理していたのは終始めぐであり、山田の携帯電話も勝手に使い、好きなものを好きなだけ買い(花火5,000円分とか!)、行きたい場所に行きたいだけ山田に連れて行ってもらい、それでいて山田には暴言を吐きまくり(しかし時にはかいがいしくご飯を作ってあげたりするあたり、今でいうツンデレか?)、だんだんめぐという少女が被害者どころか、首謀者のように見えてきて、少女どころか稀代の悪女なんじゃないのかと、めぐに対して腹が立ってくる。そしてそんな少女に振り回されてもなお、彼女の言うことを何でも聞いてあげる山田という男がいっそかわいそうになってくるのだ。
第4章まで抱いていたそういう印象が、第5章でさらに変質する。
裁判の過程で、山田がめぐに対して性的行為を働いていたことをあっさり自白するのである。
めぐは5歳頃から、近所の別の男から性的行為を受けていた。山田はそんなめぐを救おうとしたのだが、結局自らも同じことをしてしまっていたわけである。
弁護士も、傍聴していた河合さんも呆然とする。
河合さんは山田に面会し、そんな大事な、そして許しがたい事実を聞かされていなかった怒りと驚きを山田にぶつける。
山田は自分たち二人の間には愛があったから、性的虐待には当たらないと主張する。
めぐは嫌がっていなかったと主張する山田。それに対し、「そういうことをされるのは嫌だった。山田のことは大嫌い」と警察に話したというめぐ。
確かなことは、嫌だったにせよ大嫌いだったにせよ大好きだったにせよ、そんな赤の他人の冴えないおっさんとでもいいから、ここではないどこかに逃げて全然違う暮らしをしたかった、それほどまでに現在の環境がめぐには耐え難かった、ということである。
めぐの置かれた環境とは?
それを作るもととなっためぐの母・紗恵(仮名)の生い立ちが語られる。
たびたび取材を求める河合さんに根負けして出てきた紗恵は、意外にも延々とその悲惨な、愛のかけらもない半生を語ってくれたのである。
長くなるので続きは次回に。
ちなみに当初、単行本では「誘拐逃避行」というタイトルで発行された本書、文庫化に伴い「帰りたくない」に改められたそうです。

誘拐逃避行―少女沖縄「連れ去り」事件
暴力に支配された家庭に生まれ育ち、離婚歴2回、工場で派遣社員として働く47歳の冴えない中年男・山田敏明(仮名)。
そして実の両親に見捨てられ、祖父母らに育てられている10歳の少女・石井めぐ(仮名)。
望まれずに生まれ、誰からも大事にされずに生きてきたという共通点を持つ二人が、2003年の真夏に偶然出会い、土日となればめぐは山田のアパートを訪ね、遊園地、動物園、カラオケ、ファミレス、健康ランドなどなど、二人はめぐの門限まで遊び倒すようになる。
めぐは山田の金を湯水のように使い、山田はそんなめぐとの時間を増やすために仕事をやめてしまい、なけなしの生活保護の金さえもめぐとの遊びに消えていく。
めぐの家族はといえば、門限までに帰してくれれば何も言わないという、無関心・無責任とも思える態度。
めぐには虐待と思われる傷跡もあり、山田はめぐを救うために児童相談所にも足を運ぶが、児相も警察も本腰を入れてくれない。
「うちには帰りたくない」というめぐと山田は、とうとう門限を破って健康ランドに連泊することになる。
さらにその健康ランドで客を恐喝し、得た金をもって沖縄へ。
山田はその地で仕事につき、めぐと二人で生きていくことを真剣に考えるが、8日目、ついに逮捕となる。
実刑判決が下り、山田は収監。事件は解決した。
誰かが死んだわけでもない。事件としてはただそれだけの事件である。
しかしここまで読んでいただければ、「?」と思わないだろうか。
誘拐でも連れ去りでも連れまわしでもないのでは? 恵まれない境遇の、年の離れた男女が、新天地を求めて逃避した、これって事件ですらないのでは?
もちろん、未成年の女児を赤の他人である成人が、自宅に帰さず何日も連れ歩くのは法的には犯罪である。しかし、山田の家に何度もやってくるのはめぐの方であり、行きたい場所を指定するのも常にめぐであり、山田は車で連れて行って一緒に遊ぶだけといっていい。これは誘拐なのだろうか?
更に詳しく本書を読んでいただければわかるのだが、山田の金を管理していたのは終始めぐであり、山田の携帯電話も勝手に使い、好きなものを好きなだけ買い(花火5,000円分とか!)、行きたい場所に行きたいだけ山田に連れて行ってもらい、それでいて山田には暴言を吐きまくり(しかし時にはかいがいしくご飯を作ってあげたりするあたり、今でいうツンデレか?)、だんだんめぐという少女が被害者どころか、首謀者のように見えてきて、少女どころか稀代の悪女なんじゃないのかと、めぐに対して腹が立ってくる。そしてそんな少女に振り回されてもなお、彼女の言うことを何でも聞いてあげる山田という男がいっそかわいそうになってくるのだ。
第4章まで抱いていたそういう印象が、第5章でさらに変質する。
裁判の過程で、山田がめぐに対して性的行為を働いていたことをあっさり自白するのである。
めぐは5歳頃から、近所の別の男から性的行為を受けていた。山田はそんなめぐを救おうとしたのだが、結局自らも同じことをしてしまっていたわけである。
弁護士も、傍聴していた河合さんも呆然とする。
河合さんは山田に面会し、そんな大事な、そして許しがたい事実を聞かされていなかった怒りと驚きを山田にぶつける。
山田は自分たち二人の間には愛があったから、性的虐待には当たらないと主張する。
めぐは嫌がっていなかったと主張する山田。それに対し、「そういうことをされるのは嫌だった。山田のことは大嫌い」と警察に話したというめぐ。
確かなことは、嫌だったにせよ大嫌いだったにせよ大好きだったにせよ、そんな赤の他人の冴えないおっさんとでもいいから、ここではないどこかに逃げて全然違う暮らしをしたかった、それほどまでに現在の環境がめぐには耐え難かった、ということである。
めぐの置かれた環境とは?
それを作るもととなっためぐの母・紗恵(仮名)の生い立ちが語られる。
たびたび取材を求める河合さんに根負けして出てきた紗恵は、意外にも延々とその悲惨な、愛のかけらもない半生を語ってくれたのである。
長くなるので続きは次回に。
ちなみに当初、単行本では「誘拐逃避行」というタイトルで発行された本書、文庫化に伴い「帰りたくない」に改められたそうです。

誘拐逃避行―少女沖縄「連れ去り」事件