水村美苗「母の遺産」

 我が家は今、事情があって新聞を取っていないんだけれど、読売新聞を取っていた頃、毎週土曜日に連載されていたこの小説を、読むともなく読んでいて、単行本になればまたじっくりと読んでみたいと思っていた。
 主人公は、50代の奈津紀・美津紀の姉妹(主に美津紀)。
 体調不良や夫の浮気(それも今回は本気らしい)や多忙な仕事をかかえる二人はただでさえ大変。
 そこへ、最大のお荷物である母・紀子(超がつくわがまま放題の母親である)の入院である。
 幼い頃から振り回され、奈津紀は過剰に甘やかされ美津紀は放っておかれ、庶子であった母の名状しがたい見果てぬ分不相応な夢に付き合わされ、略奪してまで結婚したはずの父を放って別の男と浮気している母に代わって父の看病と看取りを済ませ……きわめつけが、骨折して入院し急速に呆けていった母(それでもわがままは忘れない)が誤嚥性肺炎で死ぬのを見届けること。
 「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」
 浮気して父の見舞いにろくに来なかった母に、「死んでほしい」と初めて願った日から何年も経ち、今では母の見舞いに疲れ果てた姉妹は、この言葉を何度も心の中でつぶやきながら、それでも母を見捨てることはしない。 
 心は最後まで許さないながら、娘として最低限の義務を果たし、母を見送った美津紀は、浮気中である夫との関係を見つめ直すべく、ひとり箱根へと旅立つ。 
 
 私も事情があってこの一年、週末に介護老人保健施設へ通う日々なので、新聞連載時よりもはるかに実感を持って、老いた方々を見ることができている。
 大半がおとなしい方々で、施設内も常におだやかな空気が流れているけれども、こんな紀子のような老婆が一人でもいたらたまったものではないだろうなと思うほど、認知症になってなおわがまま放題、若い頃の夢を追い続ける母・紀子の描写は壮絶である。
 祖父が芸者であった祖母に産ませた私生児、という不幸な生い立ちに同情できないほど、使える手段はすべて使い、周囲に媚びへつらいまくって、どうにか「お嬢さま」と呼ばれるような地位を勝ち得た母。 
 そんな強烈な人格の母に振り回され、自分の人生としっかり向き合えないままばたばたと生きてきてしまった美津紀は、母の死後、夫と別れてひとりで生きていくことを決意する。 
 そこへ東日本大震災――。 
 不幸だ不幸だ、不幸の糸がねばねばと取りついて離れないと、己の人生を嘆いていた美津紀は、自分は幸せだ、とここで初めて実感する。 
 そして長年許すことができなかった母のことも、すでに許している自分に気づくのである。
 
 タイトルにある「母の遺産」とは、ただ単に母の思いがけないほど多額の遺産を意味するのではなく、死ぬこと、生きること、許すこと、強くなること、魂の憧れ立つままに何かを求め続けることを体現した母の姿、でもあるのかもしれない。 
 まあ、何かを求め続けるあまり周囲を疲弊させるのはいけませんけど。 
 
 新聞連載時は、挿絵がなんとも言いようがないほど不気味で、物語の世界に非常に合っていた。
 ひとつでいいから挿絵も掲載してほしかったな。


母の遺産―新聞小説
中央公論新社
水村 美苗

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