村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

 あらすじ(「羊をめぐる冒険」から続けて読んで下さい。結末あり注意!) 
 ★1983年。34歳になった僕は翻訳事務所をやめ、フリーのライターとして働いている。
 ある時仕事で訪れた北海道で、僕はあの「ドルフィン・ホテル」に行ってみようと思い立つ。ところがホテルは、巨大な資本が投下された近代的なホテルに変貌を遂げていた。そのホテルのフロントの眼鏡をかけた神経症的な女の子、ユミヨシさんに僕は好意を抱く。
 そのユミヨシさんから、僕はホテルの16階の怪現象の話を聞く。恐怖をこらえながらひとりで16階に行ってみた僕はそこで羊男と再会する。彼は「このホテルはあんたのための場所なんだよ」「踊るんだ。踊り続けるんだ。意味なんてものは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」と僕に告げる。
 札幌の映画館で、中学時代の同級生で現在は人気俳優になっている五反田亮一が出演している「片想い」という映画を見た僕は、五反田君の恋人役であの、美しい耳の持ち主である「キキ」(ここで彼女は初めて名前を与えられる)が出ているのを見て衝撃を受ける。
 東京へ戻る僕にユミヨシさんが、13歳の美しい女の子を東京の家に送ってやってくれないかと依頼する。名前はユキ。父は落ちぶれた作家・牧村拓。母は新進気鋭の写真家・アメ。しかし両親は離婚しており、ユキはアメに引き取られてはいるが、奇行で知られるアメはほとんど育児を放棄しており、今回もユキは母親にホテルに放置されたのだった。警戒していたユキだが、僕の飾らない人柄に次第に心を開いていく。
 僕は五反田君と再会するが、キキの行方は彼も知らなかった。何かの手がかりになればと僕と五反田君はキキと同じコールガール組織から娼婦を買う。ところがその直後に娼婦のひとり・メイが殺されてしまう。メイの財布に僕の名刺が入っていたことで僕は警察に呼ばれるが、ユキの父・牧村拓が助けてくれる。
 お礼がてら僕はユキとともに牧村拓の住む辻堂へ行く。牧村は「これからもユキの世話をしてくれないか。金はいくらでも出す」と持ちかけるが、僕は「個人的には娘さんとは会いますが、金はもらえません。娘さんの面倒を見る義務はあくまでもあなた方親にあるのです」と、自分のことばかりにかまけて育児を放棄している牧村とアメを批判する。
 ハワイの別荘にいるユキの母・アメに誘われて、僕とユキはハワイに出かける。アメはそこで仕事をしながら、片腕の詩人・ディック・ノースと暮らしている。アメの精神病一歩手前の人格と、痛々しいばかりに献身的にアメに尽くすディック・ノースに辟易とする僕と、アメの傲慢さに傷つくユキ。
 ある日僕はホノルルの街角でキキを見かける。驚いてあとを追う僕は、6体の人骨が安置された部屋に迷い込む。
 僕は一足先に東京に帰り、ユキはアメ、ディック・ノースとともにアメの箱根の家に帰る。その直後にディック・ノースが交通事故死する。
 五反田君は別れた女優の妻とひそかに逢瀬を重ねるため、自分の派手なマセラティと僕の地味なスバルを交換してほしいと申し出る。しかしマセラティにユキを乗せるとユキの具合が悪くなる。さらに僕はユキと映画「片想い」を見に行くが、五反田君とキキが出てくるシーンでまたしてもユキの体調に異変が起こる。ユキは「あの男の人があの女の人を(現実の世界で)殺し、マセラティに乗せて遺棄した。私にはそれがわかるの」と言う。
 五反田君がキキを殺したという事実を受け入れられない僕は、悩んだあげく五反田君を呼び出す。五反田君は「いったい何が現実なんだろう?」と苦悩を語り、僕が席をはずした隙に乗ってきたマセラティごと海に身を投げて死ぬ。
 ハワイで見た人骨は、鼠、メイ、キキ、ディック・ノース、五反田君の死を象徴していたのだと僕は確信する。6人目は果たして誰なのか? そして僕は守るべき人間の存在に気付く。ユキに良い家庭教師が見つかったことを確認した後、僕は北海道へ発つ。
 北海道でユミヨシさんと再会した僕は、彼女と結ばれる。多くのものを失ったあとで、失ってはならないものを確かに手に入れた僕は、この地でユミヨシさんとともにささやかな生活を築いていこうと思う。★

 「羊……」で多くのものを失った「僕」は、この「ダンス……」でまた数々の出会いと喪失を体験することになる。
 不確かな、確実なものは何もない、明日何がどうなるかわからない世界。確かにそばに存在していたはずのものが、次の瞬間には消えてしまうような世界。
 そんな世界で、大切なもの、失ってはならないものをこの手でしっかりと確かめること。あちらの世界に行ってしまう前に、こちらの世界にしっかりと留まり、こちらの世界で大切なものを掴み取り、決して離さないようにすること。
 それが「僕」が一応たどり着いたひとつの到達点のようである。
 ユミヨシさんとの関係がどうなるかはわからない。彼女が「僕」にとって本当に大切なものなのかどうかも。また、彼女がいつ「僕」の前から消えてしまっても不思議ではない。
 ともあれ「僕」の物語は、1983年6月をもって一応の終結を迎えた。

 「羊」シリーズ(ととりあえず呼ぶことにするが)でじっくりと描ききることができなかった、あるいはしなかった(と私には思える)もののひとつに「人と人との濃密な関わりあい」があると思うのだが、そのあたりを「ノルウェイの森」で炸裂させたような感がある。
 いわば、もうひとつの「僕」の物語。 

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